「走れることに感謝」の深い意味
新型コロナウイルスの対応によって、
各地で大会が次々と中止になっています・・・😭😭😭
こんなご時世にセビリアマラソンで自己ベストを更新できた自分は、
改めて、「走れることに感謝」という思いがこみ上げてきます。
この言葉に出会ったのは、5年位前だったと思います。
ある大会でランナーの方が着ていたTシャツに書かれていました。
お金を払って参加しているのに感謝?🤔
と思う方も中にはいるかもしれないな、と感じたことを覚えています。
しかし、ランナーとして続けていくうちに、
この言葉にいくつもの深い意味が込められていると思うようになりました。
感じたことを、以下にご紹介します。
①地域の理解・協力あっての大会
確かにランナーはお金を払って大会に参加するので、
お客様目線になる人もいるかもしれません。
しかし、黒字運営をしている大会は僅かです。
ロンドン、ニューヨークのようにチャリティでも巨額の金が
動くような大会しかないような気がします。
東京マラソンのような大規模大会であっても赤字です😨
地域振興・活性化のための投資という側面も大きいと思います。
大会は地域住民の理解と協力なしには成り立ちません。
ボランティアを募ったり、交通規制などで迷惑を掛けることもあります。
沿道の声援に力をもらうランナーも多いです。
協賛で割安・出血大サービスで提供してくれる地域のお店もあります。
(レース後銭湯に入れる、グッズプレゼントなど)
自分はそこに思いを馳せると、
自然と「ありがとう!」という思いに至ります😄
②走れること=健康・平和
走れるのは健康な体あってこそです。
元気・健康でいられるから走れるし、
走ることで元気・健康になる。
ランニングはこの好循環を生み出します😄
健康のありがたみは、一度病気をした人だと
なおさら強く感じるかもしれませんね。
ハードに走り続けると、故障をする方も出てきます。
自分も慢性的にではないにせよ、多くのランナーが経験するような
痛みを感じ、その度に走るのを辞めたこともありました。
走れない辛さ、もどかしさを知っているからこそ、
普通に走れることにはとりわけ幸せを感じます😄
そして、このところ痛感しますが、
走れるのは世の中が平和な証です。
この日常がずっと続いてほしいな、と思います😄
③出たくても出られない大会もある
上の2つとはちょっと毛色が違いますが・・・
昨年6メジャーズにデビューして以来、実感するようになりました。
6メジャーズだけでなく、抽選・クリック合戦の大会など、
多くのランナーが出たくても出られない人気大会があります。
そして、この大会のために頑張ってきても
何らかの事情でスタートラインに立てないランナーも居ます。
また、家庭のある方はご家族の支え・理解があってこそ、
という面も大きいと思います。
そういう人たちのことを思うと、
自分がスタートラインに立ててることは
まさに「ありがたい」(有るのが難しい)ことだと感じますし、
思いを背負って頑張ろう、という気になります😄
※セビリアマラソンは抽選ではありませんでしたが、
まさに時期的に大会で走ること自体が「ありがたい」
ことだったので、走れなくなったランナーさん達を思って
魂を込めた走りをしたつもりです。
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色々な経験をした後に、この言葉に戻ってくることが多く、
その度に「いい言葉だなあ」と実感します。
常に忘れずにいたい原点ですね😄